Plus ça change, plus c’est la même chose.

変われば変わるほど、もとのまま。

今週のあれこれ

毎朝聴いていたフランス語のラジオ音源がなぜか聴けなくなった。

毎日のルーティンの一角が崩れるだけで生活全体に支障が出るらしく、先週は少し気分が落ち込んでいた。このブログが土曜に更新されなかったのも、その影響の一つかもしれない。

卑屈になるととことん卑屈になってしまうタチなので、ここから抜け出ることがたいへん難しい。

せめて文字化することで気分を盛り上げようと思い、いまこうして書いている。しかし、変な吐き気みたいなものがつねに蟠っていて、なかなかうまくいかない。

外出自粛になってからむしろ愉しく過ごせていたけれども、少しずつ「日常」が戻りつつあるなかで、また前の生活が戻ってくるのかもしれない。

とりあえず何か行動を起こさないと、ひとは変わらない。

  

今週のあれこれ

現代思想』所収の「発話と沈黙」を読んだけれど、これはかなり貴重な資料である。一度ではとても理解できないが、咀嚼しておく必要がある。

今週は、資料の作成をしていてじっくり本を読む機会はあまりなかったなあ。

今週のあれこれ

今週も今週とて、淡々とレヴィナス関連の本や論文を読み進める。

ひょっとすると、留学は完全になくなるかもしれない。

先がいよいよ見通せなくなっている。

 

読み直して、80年代にほとんど論点が出揃っていたのだなあと、感心してしまった。

レヴィナスの思想―希望の揺籃
 

 

「時間と他なるもの」「多元性と超越」を読んだ。前者は、朝日出版社の原田佳彦訳も同時に参照したが、合田訳はレヴィナスの原註を省略してしまっている。「多元性と超越」は、原文がどうやら日本の図書館では手に入らなさそう。

 

今週のあれこれ

一つのことにのめり込むと、それ以外のことがおろそかになってしまう。

少し空気の入れ替えが必要な気もする。

 

実存から実存者へ (ちくま学芸文庫)
 

今週のあれこれ

卒業論文のためということで、このところレヴィナスに関する二次文献を立て続けに読んできた。そろそろ、いちど自分なりの問いを整理するときに来ている。

 

レヴィナス 犠牲の身体

レヴィナス 犠牲の身体

 
甦るレヴィナス―『全体性と無限』読解

甦るレヴィナス―『全体性と無限』読解

 

今週のあれこれ

藤岡先生の博士論文を読み終えて、少しやる気が出てきたような気がしている。

オンライン授業の方が下手に肩肘張らなくてよいし、こうやって実家でじっくり本が読めるのはとても貴重だと思っている。

 

レヴィナスと「場所」の倫理

レヴィナスと「場所」の倫理