Plus ça change, plus c’est la même chose.

変われば変わるほど、もとのまま。

ひとり雑誌をはじめる

 今日は日曜日だが仕事だった。「だが」とつけたが、実のところこれまでだって日曜だから仕事をしていなかったわけではない。図書館に行って資料を集めたり、次の週の計画を立てたりと、何かしら仕事に関わることをしていたような気がする。これまではそれでもあまり息切れを感じなかった。だが、少しずつ仕事がそれ以外の時間を侵食するようになってきて、何か区切りをつけるものが必要であるような気がしてきた。

 それで、仕事の帰りにふと思いついたのが「ひとり雑誌」というもの。何のことはない、ただ毎月、「特集」めいたものを設定して、毎日少しでも「紙面」を埋める努力をしていこうということなのである。もちろん、多くの人に見せることを前提としていないけれども、毎月何かしらの成果を、最終的に残すことができたらと考えている。

 特集の内容は、とりあえずあまり狭めないでおく。特定の作家の作品を固め読みしてその感想を残すというのでもいいし、どこかに旅行に行くための計画を練って、その旅行記をつくるというのでもいい。あるいは料理とか、映画とか、創作とか?

 思い立ったがなんとか、という言葉にしたがい、何も準備はないが、11月を創刊号としてしまおう。そして、その特集は「中上健次」である。特に理由はなくて、気になってはいるけれども読めていない作家の一人だからである。

 特集というからには何かもう一つ具体性をもたせる必要がある。だが、具体性をもたせるためにはある程度、その対象についても前提知識が必要なわけで、いまの私にはそれが欠けているから、どだい無理な話である。あまりに粗雑な印象を与えかねないが、次の三つの作品・作家論を読み、何かしらそこから考えたことを綴る、ということにおきたい。

 『岬』

 『枯木灘

 『中上健次の生涯 エレクトラ

 「締切」は11月30日。この日の夜には、何か後に残しておけるようなものをこのブログにアップロードしたいと考えている。でも、仕事も忙しいし、どうなることやら……。ひとまずやってみる。

 

ある居酒屋のはなし

今週のお題「いも」

自宅近くの居酒屋の話をしよう。おばあちゃんと娘さんと思しきおかみさんが切り盛りする、10席にも満たないちいさなお店の話を。

その店を知ったのは、正確に言えばその店に入ることを後押ししたのは「孤独のグルメ」だった。自分の住んでいるエリアの回を観たら、通学路のあの店の前を松重豊が歩いているではないか。「こういう店を、ざっかけないって言うんだなあ」なんて独り言ちながら、おかみさん役の美保純を相手にホクホクしている。行かない手はないと思った。

底冷えのするある晩、友人を誘いおそるおそる曇りガラスの戸を引いてみる。すでに5、6人の先客が顔を赤らめ、我々はかろうじて角の席に座ることができた。

その友人とフランス語の話をしていたら、隣の席の50過ぎくらいのおじさんが「きみ、フランス語やってるの」と尋ねてきた。ある私立大で建築を講じる先生とのことで、フランスにはかなり造詣が深いとみえた。その先生から、コルビュジエの建築でもリエゾンの法則でもなく、この店のおすすめメニュー、カレーを教えてもらった。

出てきたのは、家庭料理に出てくるアレ。ただ、やはり「ざっかけない」店だけあってカレーもまた然り。とにかく具がデカい。にんじんもいもも、とかく一口で食らうとそれで口の中がいっぱいになってしまうような、そんなデカさだ。辛さも容赦なかった。繊細なおもてなしというわけじゃないけど、でもどこか心休まる。そんなカレーであり、居酒屋だった。

ただ、その後は足が遠のいた。夜通るたび、曇りガラスから漏れ出る明かりを横目に誘惑を抑えた。そのうちコロナ禍に突入。そろそろ行かなきゃと思っていた矢先、おばあちゃんの入院で臨時休業との張り紙が出ていた。

あの手狭な空間にいると、お客さんともお店の人とも自ずと距離が縮まる。一度行っただけなのに家みたいになる。そんな場所が、今の自分には欠けている。おばあちゃんの恢復を祈りたい。

今週のあれこれ

出版社調べるたび、自分のこと誰が採ってくれるのかしらと考えてしまう。

 

全く内容を知らずに観たけれど、泣いてしまった。シングルマザーがフードバンクで空腹に耐えかねて缶詰を開けてしまうシーンが、特に印象的。

わたしは、ダニエル・ブレイク (字幕版)

わたしは、ダニエル・ブレイク (字幕版)

  • 発売日: 2017/09/06
  • メディア: Prime Video
 

 

業界研究のために読んだ本。出版業界の問題を知るには有用。

私は本屋が好きでした──あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏

私は本屋が好きでした──あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏

  • 作者:永江朗
  • 発売日: 2019/11/25
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

今週のあれこれ

土日が少し忙しく、更新が滞ってしまった。

今週も就活と卒論と英語とを並行して進めていた。

どうしても就活が前面に出てしまいがち。まだ手探り状態で、無駄な時間を割いてしまうこともある。何を始めるにしても、はじめはみなそうである。

けっこう業界研究に偏りがちなので、自分のことを見つめ直す時間も取りたい。

 

キース・ジャレットは一枚しか聞いたことがなかった。このアルバム、気に入った。ジャズではないけれど。

メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー

メロディ・アット・ナイト、ウィズ・ユー

 

 草野さんの薦めで聴いたこちらも。

マウンテン・ムーヴス (MOUNTAIN MOVES)

マウンテン・ムーヴス (MOUNTAIN MOVES)

 

 

そういえば、久米さんの番組が終わってしまった。聴き始めたのは、番組が終わると知った今月。最後の伊集院さんとの会話は、書かれたものと語られたものの差異について重要な示唆を含んでいたと思う。 

今週のあれこれ

f:id:lamongtagne:20200620204324j:plain

今週になって、そろそろ就活を始めた方がいいことにようやく気がつく。

もともとそんなに就活に積極的ではなかったこともあり、毛嫌いしているようなところがあったが、いざ調べてみると、自分なりに楽しもうと思えば楽しめそうだと感じられるようになった。

はじめから院進一本に絞るよりも、社会勉強になってよいかもしれない。

そんなわけで、自分の将来について漠然と思いを巡らせたわけだけれど、さしあたりは次のようなことが自分のなかで優先度が高いということがなんとなく分かってきた。

・田舎で暮らしたい

・自分の時間が取れるようにしたい

・モノではなく、ヒトと関わりたい

・文字や音に関わりたい

もちろん、このすべてを新卒で叶えたいわけではなくて、はじめのうちは都心の堅いところで技術を身につけて、ゆくゆくは自分で設計していければいいかなと思う。

今週のあれこれ

今週は病み上がりで、卒論がぐいと進んだ一週間になった。

それから今日は、久々に電車に乗って本屋に行った。

やはり日曜に専門を離れると、気分転換になっていい。

 

今日買った『誰にも言わないと言ったけれど』で、ボールドウィンキング牧師マルコムXがしばしば登場するので、夜になって借り出して途中まで観た。

私はあなたのニグロではない(字幕版)

私はあなたのニグロではない(字幕版)

  • 発売日: 2018/11/03
  • メディア: Prime Video
 

 

プレヴェールの小品を読んでいいなと思ったことがきっかけで観た。

役者や演出ももちろん良いけれども、それを支える脚本が光っていた。

今日、詩集も買ってみた。

天井桟敷の人々(下)(字幕版)
 

 

今週のあれこれ

今週から、一つ新しい習慣をつけることにした。日曜日は働かないという習慣を。

これまで長いこと、仕事をしない日はなかった。平日は朝から晩までほとんど休みなく働いていたし、土日もほとんど平日と変わらない過ごし方をしていた。

これを改めようと思い立ったのは、2週間ほど前だったと思う。やはりその日も卒論に関する文献を読み進めていたのだが、夜になってちょっとした息切れを感じたのだった。ずっと働き詰めていると、次第に自分がどこに向かっているのか分からなくなる。いま目の前で続けていることを、なぜやっているのかが分からなくなる。働いている最中も見ないふりをしていた労働に対する疎外感が、とうとう抑えられなくなってしまったといってもいいかもしれない。

家族とも話し、自分には休みが足りない、余裕がないということが指摘された。そして、半ば強制的に仕事から離れる日をつくってみようという結論になった。

今日がまさにその初めての日になったのだが、非常に不思議な感覚を味わう一日になった。読みさしの小説を読み、気になっていた映画を観る。ふだんなら、2時間映画を観るだけでも罪悪感のようなものがあったし、やはり今日もその感情は湧き上がってきたのだが、あえてその罪悪感に目を瞑ってみる。そのときあらわれたのは、長らく忘れていた、初めて補助輪なしで自転車を漕いだときのような、形容しがたい浮遊感だった。こんなにくつろいでいいのか、という妙な気のほぐれだった。

今まで、仕事以外の時間に仕事をしないでいられる人とのあいだに距離を感じていたし、有り体に言えば、見下す気持ちもあったかもしれない。ただ、今日になってようやく気づいたのは、これまでの私が、仕事をしているという事実をつくることで自分を安心させていた、その事実に依存していたということだった。その仕事がもつ意味も深く考えずに。

おそらく、もう私はこれまでの自分に戻ることはないと思う。そして、戻ることを自分に許したとき、これまで私を何度も苦しませてきた悩みに再び出会うだけであるということを、ここに記しておきたいと思う。

 

天井桟敷の人々(上)(字幕版)
 
ガラスの街 (新潮文庫)

ガラスの街 (新潮文庫)