Plus ça change, plus c’est la même chose.

変われば変わるほど、もとのまま。

今週のあれこれ

今週から、一つ新しい習慣をつけることにした。日曜日は働かないという習慣を。

これまで長いこと、仕事をしない日はなかった。平日は朝から晩までほとんど休みなく働いていたし、土日もほとんど平日と変わらない過ごし方をしていた。

これを改めようと思い立ったのは、2週間ほど前だったと思う。やはりその日も卒論に関する文献を読み進めていたのだが、夜になってちょっとした息切れを感じたのだった。ずっと働き詰めていると、次第に自分がどこに向かっているのか分からなくなる。いま目の前で続けていることを、なぜやっているのかが分からなくなる。働いている最中も見ないふりをしていた労働に対する疎外感が、とうとう抑えられなくなってしまったといってもいいかもしれない。

家族とも話し、自分には休みが足りない、余裕がないということが指摘された。そして、半ば強制的に仕事から離れる日をつくってみようという結論になった。

今日がまさにその初めての日になったのだが、非常に不思議な感覚を味わう一日になった。読みさしの小説を読み、気になっていた映画を観る。ふだんなら、2時間映画を観るだけでも罪悪感のようなものがあったし、やはり今日もその感情は湧き上がってきたのだが、あえてその罪悪感に目を瞑ってみる。そのときあらわれたのは、長らく忘れていた、初めて補助輪なしで自転車を漕いだときのような、形容しがたい浮遊感だった。こんなにくつろいでいいのか、という妙な気のほぐれだった。

今まで、仕事以外の時間に仕事をしないでいられる人とのあいだに距離を感じていたし、有り体に言えば、見下す気持ちもあったかもしれない。ただ、今日になってようやく気づいたのは、これまでの私が、仕事をしているという事実をつくることで自分を安心させていた、その事実に依存していたということだった。その仕事がもつ意味も深く考えずに。

おそらく、もう私はこれまでの自分に戻ることはないと思う。そして、戻ることを自分に許したとき、これまで私を何度も苦しませてきた悩みに再び出会うだけであるということを、ここに記しておきたいと思う。

 

天井桟敷の人々(上)(字幕版)
 
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